华夏文脉,传承不息。
中华文化,五千年延续。自甲骨文后,先民发现竹、木片牍,束毛为笔,这巧遇,碰出了历史火花,作用了两千多年。世上埃及、两河、印度等古文明未能延续,实是大憾。正因中国书法,华夏文脉得以延续至今。然楚文化主要在南方,由于潮湿,故传世之物极少。所幸从上世纪始,有大量简牍出土,始得尘封的史实逐渐明晰起来。所以这一课得补上。
【日语译文】
秦楚の简帛(竹木の簡書、布帛の書)、書写の発端。脈々と受け継がれる華夏の文脈。
中華文化は五千年続いている。甲骨、金文の後から、先人は竹、木片の木簡を発明し、毛を束ねて筆とした。両者は偶然に出会い、そこに歴史の火花が生じて、2000 年余りにわたって作用してきた。エジプト、チグリス · ユーフラテス川流域、インドなどの古代文明が続かなかったのは実に残念なことだ。中国では、書法のおかげで、華夏―中国の文脈が現在まで脈々と続いている。しかし、楚の文化は主に南方のものなのだが、湿気が多いため、後世に伝わったものはきわめて少ない。幸いなことに、前世紀の初めに大量の木簡が出土し、ほこりに閉ざされた史実がようやく明らかになり始めた。この部分の歴史は今後更に補われて行くことになるだろう。
秦楚已架桥。
秦时,大篆小篆已趋成熟。小篆的线条圆融圆润,结体稳健匀称,已脱离了象形之框,完成了文字成熟之构架。作为字体,已达到顶位。若演变成汉隶,倒是勉强。所以一直为难了后面的史家。直到楚简出土,人们才恍悟,原来楚简中已有了隶书的雏形。非止以此,行、草书也慢慢随行。
笔墨手札之七。己亥岁杪撰,庚子华岁鱼公盛欣夫并记。
【日语译文】
篆、隷は直接通じておらず、秦、楚が橋を架けた。(隷書は秦篆から発展したと言われているが、実はそうではない。実は楚簡から篆書と隷書の二つの道に分かれて発展した)
秦の時代、大篆小篆はすでに成熟していた。小篆の線は丸くて潤いがあり、構造は穏健で均整がとれている。象形の枠が外れて文字の成熟した枠組みが完成した。書体として、最上位に達したのである。ここから漢隷に変わったことは、受け入れるのに支障がある。そのため、後の史家は長い間困惑させらることとなった。楚簡が出土するに至って、人々はようやく事情を悟った。楚簡の中には、隷書の雛形が既にあった。こればかりでなく、行書、草書もここから徐々に発展してきた。
筆墨自書の七。己亥歳末撰、庚子華歳魚公盛欣夫記す。
与其原地踏步,
或可另择蹊径。
人因先天之资或后天学识有异,所以学业亦有异同。如若学时徘徊不前,或无兴致,不妨另择蹊径。郑板桥①也说:“学一半,撇一半,未尝全学;非不欲全,实不能全,亦不必全。”板桥辩证地阐明了一个道理,学全了,反会学死,或者没有自己。取其有用,不在多少。不得法,或不合适,继续寻找,集采古贤,总有适合我者。
①郑板桥(1693—1765),名燮,字克柔,江苏兴化人。清书画家、文学家。
【日语译文】
その場で足踏みするよりも、
むしろ別の道を選ぶ。
人は先天的な資質や後天的な学識が異なり、学業も異なる。学びて迷ったり、興味がなかったりしたら、別の道を選んでもよい。鄭板橋も「学一半、撇一半、未尝全学、非不欲全、実不能全、亦不必全。」(半分学び、半分学ばす。学びたくないでもないが、できず、かつ必要がない)と言っている。板橋氏は弁証法的に一つの道理を説明している。全てを学んだらかえって堅苦しくなったり、自分がなくなったりする。どれぐらいかは気にせず、と
りわけ役に立つものを取る。方法はなく、あるいは不適当なら探し続けて、古賢をさがせば、必ず自分に合うものが見つかるものだ。
思齐贤者,路问败者。
善走顺道,不蹈覆辙。
清人吴德旋①写了本《初月楼论书随笔》,告诫:“学者贵于慎取,不可遂为古人所欺。”或可这样说,古人之法,未必适合每个人。如不合其性,也枉然。故需学而思之,善学善取,少走弯路,既要学人之长,又要学人如何之长。是谓善学也。①吴德旋(1767—1840),字仲伦,江苏宜兴人。
【日语译文】
思は賢人に見習い、道は敗者に尋ねる。
スムースな道を行き、二の舞を演じない。
清の呉徳旋は、『初月楼論書随筆』を書いて、「學者貴於慎取。不可遂為古人所欺。」(古人を学んでも盲従してはならず、自分に適するか否かを見る。さもなければ逆効果になる。)と戒めている。あるいはこのように言ってもいいだろう。古人の法はすべての人に適しているとは限らないと。性格に合わなければ、努力しても無駄なことである。そのため、学んで考えることが必要だ。学ぶこと、汲み取ることに長けている必要がある。回り道をしないということは、他人の長所を学び、また、どのようにその長所を達成するかを学ぶということである。これこそ学びに長けているということである。
盛欣夫著作 《书画释疑》
盛欣夫,字甫之,号鱼公。堂号盛庄、梦斋、惕庐、子鱼堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐乡(崇德)盛家木桥。书坛名宿邹梦禅弟子,国家一级美术师。中国书法家协会会员,当代作家联会理事,中国武术协会会员,浙江当代中国画研究院副院长,宁波财经学院教授,宁波大学客座教授,政协海曙区第二、三、四届专家型特聘委员,海曙书画院副院长,中国渔业协会渔文化分会理事,宁波渔文化促进会艺术中心副主任,桐乡市书法家协会名誉主席,景德镇鱼画陶瓷研究院名誉院长,鱼公书院院长。
数十年躬读老庄,用心晋唐,意会晚明,深研楚简,独钟简草,书画自己。或书,或画,或文,或陶瓷绘,其实只为书画一件事,人生七成在笔墨。如是走来,乐在其中。曾获"中国书法百杰"称号、第二届中国书法兰亭奖•教育提名奖、嘉兴市人民政府艺术教育成果奖。鱼瓷作品与鱼类绘画双获农业部、中国渔业协会金奖。2019年,书画六件(组)入藏浙江省博物馆等。
主要著作有《甫之识联》《鱼谱》《鱼瓷》《国画蔬果鱼类技法丛谱》《行草十八要旨》《盛庄艺文)(独写人生》(书写入心》《鱼公书画集丛》等30余种。
格言:顺其自然 必有自我
【日语译文】
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、号は魚公。堂号は盛庄、夢斎、惕廬、子魚堂。1949年1月(旧曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書壇の名人でめり権威であった鄒夢禅の弟子で、国家一級美術師である。中国書法家協会会員、当代作家聊谊会理事、中国武術協会会员、浙江当代中国画研究院副院長、寧波財経学院教授、寧波大学客員教授、政協海曙区第二、三、四期専家型特任委員、海曙書画院副院長、中国漁業協会漁文化分会理事、寧波漁文化促進会芸術センター副主任、桐郷市書道家協会名誉主席、景徳鎮の魚の絵の陶磁器研究院名誉院長、魚公書院の院長です。
数十年にわたり老莊をひたすらに読み、晋唐の文化を体得し、明末の文化を理解し、楚簡(竹簡)の研究に動しみ、草書を専らし、自身を書画で表現してきた。書、画、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書画に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中国書法百傑」の称号を与えられ、第二回中国書法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚の陶磁器作品と魚類の絵画がいずれも農業部、中国漁業協会の金賞、嘉興市人民政府芸術教育成果賞を受賞。2019年、書と絵六点(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識聯』『魚譜』『魚磁』『国画野菜·魚類技法羲譜』『行草十八要旨』『盛庄芸文』『独写人生』『書写入心』『魚公書画集羲』等30余種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有い。